01 看護観を変えた阪神・淡路大震災
医療技術短期大学を卒業してからずっと看護職として働いてきました。最初に配属されたのは救急の現場でした。その後、小児病棟に配属となりNICUと病棟で勤務しました。もっとも、はじめからこの仕事を強く望んでいたわけではなく、大学受験を控えたころに、たまたま推薦で看護学部に合格したことが、この道に進むきっかけになりました。

そんな私の看護観が変わった最初のできごとが、1995年の阪神・淡路大農災です。救急にいた私は、そのとき初めてトリアージの現場に立ち会いました。限られた医療資源のなかで命の優先順位を決めていく。 概念として知ってはいたけれど、そのことを実際に体験することになったのです。それまで私は、「病院に来れば誰もが平等に治療を受けられる」と思っていましたし、実際、平時の医療はそういうものでした。けれども災害の現場では状況が大きく異なります。医療資源が限られるなかで、救える命を見極め、優先順位をつけて対応していく。その判断に現場の医療職が関わる現実を痛感しました。実際に、重症度や救命の可能性に応じて搬送や対応が振り分けられていく様子を目の当たりにし、「こういう現実が本当にあるんだ」と突きつけられたあの体験は今でも心を揺さぶります。
02 小児科で出会ったある子どもとご両親
もうひとつ、心に残っている患者さんとの出会いがあります。中学生のときに血液の病気を発症したお子さんが、再発して、当時私が勤務していた病棟に入院してきました。状態は病棟で診るにはかなり厳しく、ICUに移るという選択肢が出てきました。小児科でも、ある程度の年齢になれば病気のことを本人にも話します。その子にも、病棟に残るかICUに移るかの選択が委ねられました。その子は「ICUに行ってがんばる」と言い、私はいっしょにICUへ向かったのです。でも、その数時間後、急変したと連絡が入り、結果としてその子は助かりませんでした。主治医と私には、「ICUに行かせてよかったのだろうか」という思いが残りました。もし最期になるのなら、家族と過ごす時間をつくってあげたほうがよかったのではないかと思ったのです。そんな思いから泣いてしまった私たちに、ご両親は、「ICUに行くのもあの子が決めたことです。後悔はありません」と言われました。患者さんの意思だったと言葉にするのは簡単ですが、本人の気持ち、ご両親の思いは本当にそれでよかったのだろうかと深く考えさせられるできごとでした。

その後、私は小児救急看護認定看護師の資格を取得しました。部署異動があっても子どもたちに関わる現場にいたい。そんな思いがあったからです。
03 教育を通じて医療のあり方を伝える
今は臨床教育統括センターで数育に関わる仕事をしています。ひとつは看護師特定行為研修の指導教員です。高度化・複雑化する医療現場のタスクシフト・タスクシェアに対応できる人を育てるため、院内・院外の看護師たちに新しい知識や考え方を伝えています。もうひとつは「IPE(多職種連携教育)」に関わる仕事です。チーム医療や多職種連携を進めるため、臨床と教育の橋渡し役として実習や講義に携わっています。臨床の現場と違い、教育は成果がすぐに目に見えるものではありません。特にIPEでは、まだ医療現場を経験していない学生たちが、学んだことを実際に使ってくれて初めて成果につながります。そのため、自分がやっていることがどのように役に立っているのか試行錯誤することもあります。多職種連携という言葉は、私が学生だった頃にはほとんど耳にすることがありませんでした。でも今は、医師や看護師だけでなく、さまざまな職種がカを合わせて患者さんを支えています。ひとつの職種だけで患者さんを診ることはできない。そうした医療のあり方を伝えていけたらと思っています。
PROFILE
兵庫医科大学 臨床教育統括センター 看護師長 小児救急看護認定看護師
湯浅 真裕美 Yuasa Mayumi
医療技術短期大学看護学部卒業。兵庫医科大学病院看護部に入職し、救急部門を経て小児病棟に配属。2024年4月から同センターで看護師特定行為研修や多職種連携教育(IPE=Interprofessional Education)に携わる。趣味はアンティークの食器を集めること。オフにはお気に入りの器でお茶を飲んだり、図書館で過ごす時間を楽しむ。




